〜曳山まにあ・おじゃがの独り言〜 その24
『曳山のはなし』を斬る! C赤獅子と掛川の獅子


『曳山のはなし』の赤獅子のページに次のごたる事の書いてあるとです。
>赤獅子の決定に最も影響を及ぼしたのは、小笠原藩入部の後、掛川の獅子舞と
>祭の模様を聞いたためだと確信する。少なくとも獅子頭の大きさは掛川の大獅子の
>話を聞いて決定したのではなかろうか。特に、紙を張り重ねた一閑張りの工法などは
>掛川の獅子頭のことを知って初めてできることだと思う。
なるほど、確かにネットで調べたらでっかか赤か獅子舞の出てくるとです。
しかも歴史は古うして300年!!!そりゃ赤獅子の大先輩ばい!
そして最後の唐津藩の殿様一族の小笠原さんな確かに掛川の藩主ばしよらした。
話の伝わる可能性は充分あるかも知れんです。
ところが、掛川から唐津に来る間に陸奥棚倉に1746年から1817年の
71年間、3代の藩主ばしよらしたらしかとです。
はたしてこいで掛川の獅子の知識の伝わるとやろうか!?
で、更にネットで調べば入れてみたら次のごたる事の出てきたとばい。
>三百年前という由来はあくまでも由来として、通説では、幕末の頃の天然寺中興の
>祖と言われる『帆誉覚在上人(安政五年(1858年)〜明治五年(1873年)在住)』が
>御伊勢参りの時に見たものだという説が一般的です。
おりょりょ!?赤獅子の方が先輩のごたるです。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/9508/maturi/oojishi.html
て事は掛川の獅子ば元にデザインばした線は無かごたる。
元デザインのもう一つの説として古館翁も挙げとらす、浜玉の中菊屋にあったって
言われよる普通の獅子舞のサイズの木製獅子頭(カブカブ獅子?)の方が当たりかも
しれんですね。
オイも昭和54年くらいのぴ〜ぷる放送の映像で見たことのあるばってんが
なるほどて思うごたる形状ばしとりました。


しかし研究熱心な古館翁、ネットの無い時代に掛川の獅子に着目するとは恐れ入ります。





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