〜曳山まにあ・おじゃがの独り言〜 その13
唐津神社


唐津神社に居られる神さんはご存知やろうか?
住吉さんの系列になるとばってんが、神田五郎宗次さんちゅう神さんも居らすとです。

昔、五郎さんが神さんの夢ば見てご神託どうりに西の浜に行って見たら
宝鏡の落ちとったらしかとです。
そいで時の朝廷に報告したら天皇さんも同じ夢ば見たっちことで
ソコに神社ば造って祭ってくれっちゅうことやったそうです。
そこで『しおのさき』に神社ば建てたちゅうのが唐津神社の始まりです。

しおのさきは町田潮ノ先ちゅう地名らしく、昔は八百屋町に唐津神社のあったらしかけん
潮ノ先は八百屋町のことかも知れんです。

やがて唐津城の出来る時に唐津城の中に唐津神社ば移動したとです。
何故なら唐津城初代城主は寺沢志摩守、
他所の国から派遣されて来た人やっけんが民衆になじみの無かったとです。

そこで城の中に唐津神社ば移動して自分も同じ唐津神社にお参りしよるけん仲間ばいって
アピールしたかったらしかとです。

で、移転作戦は成功したとばってんが城の中に一般人は入れません。
城下町も出来たとばってんが町民は唐津神社に自由にお参り出来んごてなったとです。
そこでお参りが中々できんでもオイ達は唐津神社の氏子ばいって証明する為に
唐津くんちの出番ちゅう訳です。

前も言うたごて時期ははっきりせんとですが・・・
そんな訳で西の浜に流れてきた宝鏡から始まった唐津神社、そいけんお旅所は西の浜、
氏子ば引き連れて里帰りばしよらすとです。

潮ノ先、昔は海が近かったのでしょう。
町田川も今の松浦川の河口で合流する川ではなく江川町を抜けて西の浜に流れていたそうです。
だから江川町は江川町だし、
西唐津と大成校区の境にある江の尻川は江川町の尻に流れる川です。
つまり今の小さい江の尻川は本家本元の町田川です。
今の町田川は唐津城築城時の外堀とする為流れを変えたものなのです。

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